最初は単なる気まぐれで本屋に向かった。今、コレを見つけたこと自体は偶然かもしれないが、いつかは出会っていたかもしれない。『泣ける2ちゃんねる』の編集本。
去年の夏の終わりごろ、『泣ける2ちゃんねる』というサイトを知った。きっかけはその中の話の一つを題材にしたフラッシュを見たからだったと思う。そのフラッシュに感動し、ぜひ他の話も見てみたいと思ってサイトにアクセスした。本家2ちゃんねるの書き込みの過去ログを初めから見ようとしていた。2か月分を読むことが出来ず、マジで泣きそうになってブラウザを閉じてしまった。それから、今まで、それっきり。
本屋でこの本を見つけたとき、ほとんど何も考えずに手にとった。内容を確認するため、ぱらぱらとページをめくる。つい、話の一つを読み込んでしまう。ヘッドホンからアップテンポな音楽が流れていたけど、しかも本屋の立ち読み中に、涙腺がめちゃめちゃ緩む。これ以上読むとヤバイと判断し、本を閉じる。しばらく俯いて、他人にバレないように別の本を読み出した。
結局、『泣ける2ちゃんねる』編集本を買う。結構迷ったがボリュームの割に安かったので買うことにしたのだ。そこらの本を数冊買うよりはナンボかマシだろと思って。家に帰って一息つけてから本を開いた。
2つ3つ読んだころにはもう涙腺が緩みだしていた。まだ第一章の半分さえ読みきっていないのに、必死で歯を食いしばって堪えていた。映画とか、小説とか、漫画とか、ゲームとか、そういった娯楽に属するメディアで未だかつて涙したことはなかった。というより、もう物心ついた頃には泣くということを忘れていたように思う。笑ったり、楽しんだり、プラス方向の感情はそこそこ豊かだったくせに、怒るとか、悲しむとか、泣くとか、マイナス方向の感情が溢れたことは、小学校3年生の時の弟と喧嘩した時以来はない。というか、覚えていない。意識的に忘れているのかもしれない。祖母が亡くなった去年の夏でさえも、あまり悲しいと思わなかった。そんな感情希薄になりつつあったくせに、この本を読んだだけで久しくその感情を思い出す。なんで、他人の話を知っただけで悲しいと思うんだ? 分からない。
普通の人から見たならば不幸というべき境遇に同情しているのか。
もし自分だったらなどと仮定した空想を嘆いているのだろうか。
あるいは、希薄になりつつある自分自身を寂しいヤツだとでも思っているのだろうか。
だけど、読んだ後は気持ちがよかった。同情だとか嘆きだとか自嘲だとか、そんな卑しい言葉はどうでもいい。ただ、この本に考えさせられる。俺は今まで無駄にしていた時間がなかったか、これから時間を無駄にしようとしていなかったか。今までできたはずだったことが、明日突然できなくなるかもしれないから。
だからこそ、そのきっかけとしてこの本を読んで考えて欲しい。
参考リンク:
泣ける2チャンネル
泣ける2ちゃんねる 2ch+BOOKS(1)
Comment