実験の帰りに、友達と学生食堂でぼんやり御飯を食べつつ思ったこと。
話の発端は、なんかLinuxだかWindowsだかBSDだかのOSの仕組みについて友達に教えたことだったと思います。研究室の手伝いでLinuxのサーバー/クライアントを構築することになった、という世間話。その友達はいわゆるIT分野に疎い人で、そういった授業でもよく教えたりなんだりしていたんだけど、OSのことがいまいち不明だからとシステムの概念的なところから教えていたんです。食堂で。
Linuxを何故使うのかみたいなことを聞かれて、Unixの歴史やWindowsの普及、社会的背景などを織り交ぜて話していたんだけども、まぁ、話の筋くらいしか分からんと言われてしまいましたが。情報分野の発展速度や情報処理という分野で現在研究されているテーマは何なのかという大筋、とくに個人的に量子コンピュータや量子暗号はアツイなど、それがどういうことに繋がるのかということを熱く語っていたということを俺を知る人には容易に想像できましょうが、そこで尋ねられたわけですよ。「そういった知識ってどこから手に入れてくるものなの?」と。
ぶっちゃけ、その答えとして「俺が今までパソコンを使ってきた経験から来る知識の要請と、その先はどうしたほうがいいのかという将来的展望を考慮してネットや書籍から知った」とかいう主旨で噛み砕いて言ってみたら、ひどく驚かれたんです。「そんな風に物事をまじめに取り組んでいるのが凄い」みたいな感じで。
それが俺にとって意外だと思ったのは、当然皆何かしらそういった側面を持っていると思っていたから。俺は情報処理や物理、数学、環境学とかいった辺りに割と明るいですけど、音楽とかの芸術性には全く乏しいし、社会学や地理歴史など中学生以下くらいしか知らねぇんじゃないかと。そもそもテレビを見ないから興味対象がたまたま書籍やパソコンといったほうに向いただけで、その道のプロには今のところ到底敵わないと自覚してます。それくらいしか掘り下げていない知識で以て凄いというなら、世の中皆凄いんじゃないかと思うわけですよ。
思うに、今の学生は自分を見つめ直す機会が少ないんじゃないかなぁ。そろそろ周囲でも就職活動の話題がちらほらと出てくる時期になってますが、そういう機会を通してようやく自分に目を向けだすみたいな感じ。普段から自分を見ていたら、何か胸を張って語れる要素があると思うんです。同じくらいの時間を過ごしてきたんだから、知識と経験の種類は異なれど、その度合いにはさほど変わりがないんじゃないかと。ただ、それに気づいて自信を持ってそれを語れるかどうかだけだと思うんです。大学生の差なんかその程度でしかないって。
その自信を持つために今を頑張ることが、社会に出て行く大学生に必要な『就職活動』なんじゃないかなぁ。
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