昨日と打って変わって暗い――というか重いタイトルに……(ぉ
今まで、今も、そしてこれからも悩んでいくことになるであろう命題です。
考えるということができるようになってしまった人間には一生ついて回るものかもしれません。
ちょっと話は脇にそれますが。
最近は新聞に載っている連載小説をよく読んでいます。
いままであまり、まったくといっていいほど興味はなかったのですが、なにげなしに見ていたらちょっと惹かれるものがありました。
それは人の存在と環境破壊です。将来的にそういったものと関わりのあることをしようと思っているので、いつのまにかさっと目を通すようになってました。
環境破壊と聞くと、大気汚染や海洋汚染、ゴミ問題、資源の過剰摂取などいろいろあげられます。
しかし、それらはすべて他人事じゃないことですよね。
とはいっても実際に影響を与えているかどうかわかんないものですから、イマイチ実感が湧かないのも事実。
自然環境を専門に勉強しようとしていた私も、あまり実感できないものでした。
そういったことに関連してよくいわれることは、リサイクルや節約などの環境破壊を止めようといった話題です。
リサイクルや節約をすることにはなんの問題もないです。それがむしろ奨励されていかなければならない。
けど、それを広めようとしてもなかなか広がらないものです。
ちょっとした面倒くささが一因になっているのはいうまでもないですが、どうにも説得力に欠けていたんだと思います。
電気を使ったり、車に乗ったりとしながら、他人にはリサイクル・節約を推し進める――という風にみられていたのでは?と。
たしかにそれだけを見ると説得力には欠けますよね。いくらリサイクルしていても意味がない――と思う人がいても不思議ではないかも。
私もリサイクル・節約はしますが、人から見ればほんとに気持ち程度のものでしかなく、自分自身これでいいんだろうか?と漠然とした不安に駆られることもあります。
だけど、その理想と現実のギャップの答えが、その小説にあったんですよ。
そこにはまさにその文がありました。
「環境保護を主張している奴らが、パソコンを使っていたり車に乗っていたりってなんとなく納得できなかったんだ――」
「けどここで生活してみてわかったよ。人間はもう文明から離れて生きていけない――」
「動物は文明を持たないから環境保護なんて考える必要はない。けど人間は弱い動物だったから、火を持ち始め、文明を築き、動物ではなくなった。そこからすでに始まっていたんだよ――」
「文明は手放せない。だから環境保護を考えなくちゃならない。所詮文明も自然に依存しているんだから、自然がなくなったら終わり。また弱い動物に戻るだけだ――」
なんとなく今まであった矛盾が消えた気がしました。
今、こうしてパソコンを使うことが環境には悪影響なんだとは分かります。けど、それを使って自然について論議するのは間違いじゃないのか――って。
そういう疑問がようやく解けました。環境保護なら電気を使うのをやめろ、ではなく、電気を使わなければ生きていけない。だから環境も守らなければならない、と。
実際なら電気を使わなくても生きていくことはできるでしょう。サバイバルすればいいだけじゃないか、とはたしかなことです。
だけどそれは人として生きるのではなく、動物として生きることだと思います。社会が成り立つには、文明が必要なんだ、と。
生きることは難しいです。常になにかを考えなければ生きていけません。
それでもちょっと肩の力を抜いて周りを見れば、また変わった発見があるかもしれませんね。
長々とお付き合い、ありがとうございました。
ではでは。今日はこの辺で。
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