PSOBBを始めておよそ2ヶ月が経ちました。その間にあった、笑い話や失敗談、過去の体験を持ち出してきて話が盛りあがったり。初めのうちはドリームキャストでPSOをしていたころを思い出しながら、懐かしさに浸って楽しんでました。まだ全然アイテムが揃ってないころの下積み時代が、それこそ楽しかったです。そのうちチームに所属して、偶然が偶然を呼んだ3チームの連合発足。連合が発足したその日はロビーの収容人数ぎりぎりで早朝までチャットが及んでいたり。だんだん連合に所属する人とも潜るようになって、いつも誰かと潜るようになっていましたね。あっという間にドリームキャストでの遊んでいた人数より多くなりました。このままずっと、この楽しさが続いていくんだと根拠もなく思ってました。
けど、本日。連合チームの一つであるOptimisTのチームマスターさんの訃報を知ることに。
そんな馬鹿な。ついこの間まで一緒に遊んでいたのに。連合の発足時に冗談を言い合って記念撮影までした人だったのに。テストがあるからしばらく逢えなくなるだけだと疑いを持たずにそう思って。こんな別れ方をすることになるなんて、全く考えてなかったけど。 だけど、そんな冗談が通じるはずもなく、それは間違いなく真実であるということをまざまざと思い知らされました。いつものロビーに行ってみれば、しかし、明らかに違う雰囲気のいつものメンバー。告げられた事実。たぶん、モニタの前で唖然としていたのは一人だけではないはず。実感なんて微塵も沸いてきません。
「何か俺たちにできることはないんだろうか?」
誰かがそう言いました。だけど、墓参りに行ったりすることはできないということも皆分かっています。大きな視点から見れば、ネット以外での接点は全くなかった人の死を悼むことなんて方法は限られているんです。とにかく、連合メンバーが各々パーティを組み、エピソード1・エピソード2のボスを倒し、黙祷を捧げるという案でいくことに。傍からみればそれのどこが追悼の意を表しているんだと思われるかもしれませんが、連合メンバーが共同で行える一つの区切りとしてはそれしか方法がないというのもまた事実。乱暴な言い方ですが、意味付けの方法には意味はないと思います。ただ、それを行った人の思いの分だけが故人の死を悼むのではないかと。
ある意味、滑稽なことかもしれません。顔も知らない、本名も知らない人のことです。テレビで報道された死者の名前だけを見て、少なからずの同情を抱くかもしれませんが、テレビを消してしまえば、それこそその報道場面が変わってしまえば忘れ去られることでしょう。だけど、例え顔も名前も知らなくても、一緒の時間を共有したという人のことを忘れることができますか。残念だったの一言で片付けられますか。黙祷を捧げることに滑稽と感じますか。共有した時間は確かに長い時間の内のほんの僅かでしたが、想いを残すことに時間の長さは関係ありません。一緒にいたという事実が、心の中に残っていれば。
皆で笑っていたあの日を想い出に。
貴方が一緒にいた日々を忘れずに。
ありがとう。
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