ちょっと前にあった中越震災の話。ここのサイトではその話題に一切触れていませんでしたが、個人的には勿論情報を集めてました。近隣に祖父祖母が住んでいますしね。幸い、大した被害はなさそうでしたけど。その情報を集めている際に、その震災の悲惨さを改めて知ることになりました。ニュースのようなカタイ言葉じゃなくて、感情のこもった生の言葉で書かれた文章。
それが心の琴線に触れたか、いつの間にかネット上に溢れる『ちょっといい話』に耳を傾けるようになってました。前々からそういった話は好きでしたし、泣ける2ちゃんねるに代表されるようなサイトも見てましたけど、最近は少し忙しくなったこともあってかあまり見なくなっていまして。久しぶりにそういったものを探してみて、感動してました。他人から見たらありふれた話なのかもしれないけど、本人がそのまま語るからこそ感動できること。ネット上の話は『疑ってかかる』のが私の基本姿勢ですけど、『ちょっといい話』は素直に信じたくなります。ちょっと悲しい話でも。ちょっと笑える話でも。
だけど、それってつまりは単に同情してるだけではないのかと。自分自身今まで死に触れてきたことはありますがドラマチックなことでもない、と割と冷めて見てました。だから劇的な展開に心惹かれているというのだろうか? それは偽善ではないのか? そう思っている自分がいることに、ちょっと鬱な気分。
そして、それさえも卑しい話として。
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