『SS』と『小説』の違いといえば、個人的な区分けの仕方ですが、そのストーリーが主軸に当たるかどうかだと思います。その意味で、SSはSide Storyの略であると解釈しており、あくまで『Side』であることが重要です。もっと平たく言えば、二次創作のノベルというのは全部SSに当たるんじゃないかと思っています。一次創作でしか小説になりえないということで。
この『キノの旅』という物語は、その意味で『小説』と『SS』が入り混じった、ライトノベルにおける他の小説と一線を画しているように思います。物語は全て短編で構成されていて、その長さも1ページから百数十ページまで多彩です。しかもほとんどの物語が独立して成り立っており、どこから読み始めても問題がありません。一部にリンクしている物語がありますが、それが『小説』と『SS』の分類になっているのではないかと。つまり、普通の物語のようにある程度時間の流れが分かり、話の辻褄を合わせるにはエピソードの順番が存在するのが『小説』ということです。『キノの旅』において、これらの話は比較的長め(数十ページ?百ページ超)となっていることが多いです。逆に『SS』はそれこそ自由に、時系列に並べることの出来ない物語で、中には数十行で終わる話もあります。
これだけボリュームに幅がありながら、それでいてその物語の全てがちゃんと物語として成り立っており、感動を与えることができるというのは凄い。究極的に、物語を物語るための量が少なければ少ないほど、その質を高めるのは難しいものです。
『キノの旅』では、視点となる人物に制限がありません。主に主役となる人物はいますが、それに関わる人から見た二人称的視点など、従来のライトノベルにはない独創的な発想があります。この柔軟な発想は、物書きの端くれとしてその技術を盗みたいと思うくらいです。物語の中に登場する『国』が、とある個人のように振舞って主人公たちに接していくという点も興味深い。現実の『国』は色んな考えを持つ人たちが構成する社会であるはずなのに、『キノの旅』の中に登場する『国』ではある思想が中心となって人々の考えが統制されていることが多いです。そのため、人は個人ではなく、国の歯車の一部のように感じられます。そしてそこから外れた思想を持つ人が異端扱いされるということも。それがまた、物語を面白くする要素の一つなのですが。
『キノの旅』の物語はある種哲学的な側面もありますが、短編ですので読みやすく純粋に面白いと思います。しかしその哲学的な意味に『はっと気づかされたこと』があれば、それはそれで素晴らしいことではないでしょうか。物語を『読む』だけではなく、『味わう』ことにも奥深い作品です。
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