一ヶ月ぶりくらいにLibraryの思想関係テキストを更新。『ネットゲームと自制心』という、EP4の話題を出した直後にこれかよって感じなのですが、自戒の意味を込めているので大目に見てやってください。
正直な話、ゲームしている時間は色んな意味で損をする可能性がある、と思うんですよ。それはゲームに限らないかもしれませんが、何かを諦めた直後ってその諦めた対象に費やした時間を無駄にしてしまった、とか思うかもしれません。興味本位で楽器を演奏してみようとか思って必死に練習したけど中途半端なところで止めてしまった、という場合を考えてみれば、その人にとってその練習に費やした時間は無駄だったということになるかもしれません。ネットゲームも全く同じ。
けど楽器を演奏しようとして挫折した人は、その経験を活かして再挑戦する際にもと効率的に勉強しようと思うかもしれません。そうなったら、以前に挫折した意味もでてきます。挫折したからこそ、効率的に学ぶことが出来るということなんですよ。
ネットゲームはどうか。ネットゲームを一生涯続けるというのはごくわずかだと思うのですが、ゲームを止めた後にそのゲームでの経験をどこに活かせるんでしょうか。少なくとも、現代社会では『一日12時間以上ネットゲームをプレイして極めました!』という人よりは『一日12時間以上バイオリンを弾いて国際コンクールに出場しました!』という人のほうが凄いと思います。ネットゲームがサブカルチャーである以上、世間的に認められる可能性は限りなく低いわけで。
この『ネットゲームはサブカルチャーである』という事実が存在する限り、このテキストには意味があると思います。他の趣味は認められ、ネットゲームが認められないというのはまさにこの『サブカルチャーである』ことが関係しているのではないかと思うんですよ。勝手な推測ですけど。
まぁ、人生の全てに意味を見出すのはそれこそ無意味なことなので、適度な息抜き程度にネットゲームを嗜んでいく管理人のぼやきでした。預言書出やがれコンチクショウ。
サブカルチャー:ある社会に支配的にみられる文化に対し、その社会の一部の人々を担い手とする独特な文化。例えば、若者文化・都市文化など。副次文化。下位文化。
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