そんな建設的かつ健康的な一日を過ごせるならば、たとえどれだけ貧乏だったとしても、とっても幸せな人なんじゃあないでしょうか。(挨拶)
さておきそんな幸せとは無縁に、今日も今日とてパソコンの前でごりごりネットしたり物語を考えたり宗教の訪問勧誘がきてうざかったりする悠です。思えばなんも建設的行動をしてないなーとダメ人間街道まっしぐらなわけですが、これをどうにかしようと思っても意外と難しい。
なんか、うだうだするだけでゴロゴロまったりな休日というのを、人間はどこかで必要なんじゃないかと考察してみるデスヨ。しなければならないことが存在してそれをしたくない、という拒否反応があるならともかく、したいはずのことまで何故かやる気が起きない。それは元々したくなかったんじゃないか、というわけではなく、例えば創作に関して何らかのインスピレーションがきたときには物凄く創作意欲が湧いてくるわけですよ。創作そのものが嫌いなわけじゃない。けど、何も思いつかないときはゴロゴロうだうだするしかないんじゃないかって。
楽をするための努力を惜しまない、という一見矛盾したスローガンぽい言葉がありますけど、これって人間そのものを指しているんじゃないかなぁと思うのですよ。人間が機械を発明したりするのも「もっと便利に」という欲求を体現したものじゃないですか。便利になった先は楽が待っている。そう信じているわけです。
でも実際のところ、そういった便利が増えるほどにもっともっと便利さを、と欲求が肥大化していくのも人間な訳で、留まるところを知らない怠惰の欲求は積もっていくんです。いつしか便利さを追求することそれ自体が楽であると錯誤したり、楽とは一体何なんだろうと思索にふけるわけですな。
そうならないためにも、ただただ時を過ごすという究極に贅沢な一日を送ってみたりすれば、普段の行動にもメリハリがでてくるわけです。結論としては、適度なガス抜きがなければ人間やっていけないというわけですよ。
うん、詭弁だと気づいた人は中々聡明な方だと思います。
Comment