部活動で大学近くにある河川に関する下調べをしながら、気象学実験の論文書くための資料に目を通し、部活のシステム変更のための草案を練り込みつつ、LinuxでのNFSの挙動がおかしかったのでNFSの仕様を調べてパケットのポートを設定しファイアウォールを上手く通り越せたり越せなかったり。いつもどこかでなにかの勉強をしなければならないのかなぁ、Whenever/Wherever/Whatever Studyingな人生について再考すべきではないかと提案する悠です。W3SってW3Cと似てるよね。
いや、勉強自身は問題ないと思うんですけど、全く関連性の見いだせない事柄を複数同時に並列して調べ上げていくっていう作業は激しく面倒。
アレです。モチベーションが高まらないんです。相互に関係のある事柄ならば、ある一つを調べていくうちにそれ以外の理解も自然と深まりだし、正のフィードバックを築き上げつつ理解の螺旋階段をどんどん下りていけるというわけですよ。
これが全く関係なかったりすると、事柄を一つ一つ調べるたびに一々頭の片隅に追いやった記憶を参照しなければならなかったりして、三歩進んで二歩下がるみたいな真似を繰り返すんですよ。
こういった事態を回避するにはいわゆる天才的才能が必要なんじゃないかと思うわけですが、それができたら天才といわれるわけですよね。私は基本的に浅く広く時折深くがモットーなので、どうしても器用貧乏になりがち。啓蒙書とか読んでる分、人よりは知識を蓄えていたりするんですけど専門家にはでこぴん喰らってカエレ(・∀・)!!といわれるような、そんな微妙な感じ。
並列計算システム的思考ができるようになったら器用貧乏が器用万能になるんじゃないかなぁ、と語感だけで勝手に想像している自分にorzしながらフェードアウト。
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