充実していると言うべきなのか、最近は金よりも時間の方が欲しいと思うようになりつつある。今の時期にバイトを辞めるのはバイト先に迷惑掛けすぎることになるんで、今年度いっぱいは続けるつもりではあるんだが。来期は無理だろーな。本業である研究のほうに支障を来すほど時間がせっぱ詰まってくるとなると、やっぱり時間のほうを選択せざるを得ない。
研究は楽しいし、趣味を嗜むのも悪くはないし、バイトも色々と経験を積むことができるんだが、どうやらそろそろ岐路に立つべき時が来たようだ。今まではあれもこれもと欲張って色々手を出してきたけども、これからは与えられた時間の中で取捨選択をしながら行動を決めていかなければならない。しかも優先順位を間違えてはいけないという制約つき。こういう悶々とした気持ちを抱えたまま行動するのは精神衛生上宜しくないと思うんだが、人生の先達はこんな状態でずっと歩んできているんだろうか。社会の重圧という言葉も些少ながらに理解できる気がする。
子供の頃は、時間という概念は遠大なものだった。あまりにも大きすぎて、その一部分に触れているような感覚。自分を束縛するわけではなく、自分とともに在るべきもの。大人になるとどうやらそれは窮屈すぎるらしい。思い通りにはいかず、自分に対して制限を課してくる。これは単に経済的な理由で述べているわけじゃない。親の庇護下にいることと経済的に恵まれている状態(遺産の相続とか)を同一視はしたくないし、やはりそこには何か隔たりがあると思う。それを知ることが、大人の証なんだろうか。
もう少し客観的に言えば、ある行動に必要とする時間スケールの差異になるんだろうが、こういうと野暮ったく聞こえるのは何故なんだろうな。もしかしたら、あの頃の感覚をもう一度味わいたいからこそ、だろうか。
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