今日の学会で結構過激なタイトル及び内容のプレゼンがあったんだが、特定を避けるため内容に関しては触れない。まぁ本気で調べれば分かっちゃうだろうけど、今回のエントリ内容の本質的な部分にはあまり関わらないので別にいいやってことで。
そのプレゼンは、なんというか予稿集のほうでも割合御粗末な理論展開だなぁと思っていたし、実際に話を聞いてみてトンデモ理論だとしか思えなかった。つーかよく学会側もこんな発表を認める気になったなぁといろんな意味で感心する。データの解釈や理論の組み立てが飛躍しているようにしか見えないし、その主張も恣意的な結論ありきであるように感じられる。少なくとも本気でこの道を専攻している人からしたら、バカにされてるんじゃないかと感じられるくらいに。
発表者の肩書はまともなもので、特にアカデミックな世界を知らない素人でもなく、学問の世界に携わっていたはずの人。そんな人がトンデモ理論をぶちあげるのは呆れを通り越して滑稽ともさえ思ってしまったんだが。通常のプレゼンが質疑応答込で9分なのに、発表自体が時間超過、そこからさらに世話役の計らいで特別に質疑応答の時間が設けられて、終わるのに30分近くかかったことと、その講堂が席も埋まらないくらいに人が詰めかけていたことを考えればどのくらいの異常事態であることかは想像に難くないと思う。それだけ皆興味津々ではあったということだけど、一学生が予稿集でトンデモと分かる程度の理論展開に、専門の識者らが本気でそのプレゼンを信じて来ていたとは思わない。まぁ、つまりはトンデモの中身はどんなもんという若干の野次馬的意識が混じった結果だと思うということなんだが。
枕はさておき、実はその主張自体は一昔前まではあまり珍しくなかった。それはそのトンデモ理論をぶちあげることが、という意味ではなく、その事象を裏付けるor反駁する科学的な証拠がまだ十分に出揃っていなかったから、というところがほとんど。当時はまだその認識も薄く衛星観測の黎明期ということもあり、質のいいまとまった観測値も得られていなかったからだ。今日に至っては世界中の識者が様々な意見を交わし、つい最近になってその事象が嘘でも統計的産物でもなく実際に生じているものであると結論づけられたもの。問題のプレゼンはそれに反論しようというものであるから、それ相応のデータと解析結果に基づく根拠がなければ意味がない。好意的に解釈すれば、プレゼンでそういった理性的な反論を期待して人が集まったと思いたい。残念ながら、個人的には通常以上の時間をかけたプレゼンだったにも関わらず、あまり有益な時間とは言い難かったと思うが。
この問題の本質は、批判の方法だ。手順ともいうべきか。批判するだけなら簡単なのだ。データと物理的な解釈による根拠を基にした仮説に反論するのであれば、相応の根拠を示さなければならない。この根拠を明確に示さない批判は、相手に聞き入れられなくても仕方がない。それは単に難癖をつけてるだけに過ぎないから。
一方で、仮説の反論にも明確な根拠を以って説明しなければならない。それをしないのであれば、仮説もただの傲慢な持論にしかならない。難しいのは、自分の仮説を相手に分かるように示し、相手の仮説の意図とその根拠を最大限の注意と努力を払って汲み取ること。これを怠ると、時折とんでもないミスをしでかしたりする。討論では参加者全員に各自のレベルにおいて努力を為すことを期待されているし、そうしないと水掛け論で終わってしまう可能性もある。
前述のトンデモなプレゼンでも、つい一笑に付したくなる内容ではあるにしろ、もしかしたらそれは重大な問題の提起かもしれない。相手が根拠を示しきれなかったといって、その仮説自体を却下するのは早計に過ぎるかもしれない。自分自身の反省材料、批判的立場の意識を持つという意味では、複数の仮説を頭にしまい込んでおくというのは損ではないはず。その仮説の何がいけなかったのか、どうしたらその仮説が既存の仮説と拮抗しうる程のものとなるか、今回の自分のエントリも含めて意識のうちに秘めておく必要があると思う。
肯定と否定の意見を常に自分の中で持っておこう。自身がトンデモ理論を提唱する立場にならないために。
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