ニートとフリーター。ざっくばらんに言えば、ともに「定職に就いていない」という部分が一致しているが、ニートは「そもそも定職に就く気がない」人々を指し、フリーターは「気概はあるが事情により就いていない」人々。別にその細かい定義について議論したい訳じゃなく、むしろ逆で、おおざっぱな言い方でもこれくらいの違いがあるのに、何故か言葉の用いられ方として混同されつつあるような気がする。そのことについて考えてみたい。
手軽なところで定義を確認すれば、フリーター(Wikipedia)とは正規雇用の形以外で何らかの就労を行っている人を指し、無職やニート(Wikipedia)とは異なっている。しかしもともとフリーターには明確な定義がなく、若者であることやアルバイトで生計を立てている人などの曖昧な形で用いられていた(リンク先参照)ということもある。ニートはその言葉の成り立ちからしても分かるように、働いておらず、働く意志もない人であることが明確に示されている。広義の意味で考えれば、ニート⊂フリーターとなっており、ニートは狭義の意味でのフリーターとも言うことが出来る。勿論、これはフリーターの定義が曖昧な場合のことで、今の定義では明確にニート≠フリーターであることは間違いない。
しかし定義としてはそうでも、人の意識の中ではそこまで厳密な区分けが行われていないということもある。今でならニートに分類される人でも、以前はフリーターとして扱われていたからだ。ニートという言葉がなかったのだから、これは当然のことである。その観念が残っているならば、ニート≒フリーターとなってしまうのも仕方ない。言葉の誤用といってしまえばそうだが、現実には言葉は一義的ではなく様々な意味を持つ。今でもフリーターという言葉にニートという意味が内包されていたとしても、さして驚くには当たらない。単に意味が変わる過渡期だとしか思わないからだ。
似たようなケースに、ハッカーとクラッカーがある。こちらはニートとフリーターよりも歴史のある言葉であり、その誤用についても多くの指摘が為されている。あまり情報技術系の情報に明るくない人にとっては、ハッカー≒クラッカーであっても不思議ではない。厳密にはハッカー≠クラッカーであるし、個人的にもそうとは思っているが、言葉は民主的で多数派的である。皆がハッカー≒クラッカーという使い方をしていれば、社会通念上はハッカー≒クラッカーなのだ。
さらに厄介なことに、厳密な意味でのクラッカーがハッカーを自称することは珍しくない。クラッカーは初めから負のイメージを持った言葉である。自称クラッカーを名乗るのは愉快犯かそれに類するものになるはずだ。泥棒が素直に「私は泥棒です」と名乗らないのと理屈は同じだ。その場合、クラッカーがハッカーを、泥棒は錠前師(だいぶ古い言い方だが)を名乗ることはある意味で自然なことである。
話を戻して、ニートとフリーターにも似たような関係があるのではないだろうか。積極的にしろ消極的にしろ、ニートがフリーターを、フリーターがニートを名乗る傾向があるのは少しネットを眺めていればよく分かるはずだ。ハッカー・クラッカーと違うのは双方向に誤用があるということだが、意味の混同という点では特に問題にはならない。この混同は、意味の矛盾がなければどの言葉にもあり得ることだと考えられる。
つまりニート⊂フリーター(クラッカー⊂ハッカー)という概念が過去から現在において一度でも社会的な認知を得てしまえば、その二つを分離するのが非常に難しくなってしまう。殊更、その混同されていた時間が長ければ長いほど、というのは理に適っているだろう。ハッカー・クラッカーの関係では、さらにGeek、Wizardという概念を取り入れることで差別化を図ろうとしている。つまり、言葉の意味が多義的になればそれを一義的に戻すことは難しく、新たな言葉を導入した方が手っ取り早いということを示している。ニートとフリーターもいずれは判然とした区別がなくなってしまうことになるとしても、何も不思議なことではない。
見方を変えれば、言葉もエントロピーの法則に従っていくようにも感じられる。シンプルに、乱雑とした方向へと進化していくという意味で。そう考えるのは理系ならではの気のせいだろうか。
Comment