ふと目に留まった記事を、つい読み込んでしまった。
36歳になって思う「プログラマ35歳定年説」(CNET Japan)
プログラマ業界でまことしやかに囁かれているらしい「プログラマ35歳定年説」の話。その噂が本当かどうか、筆者の経験とその周囲と一般的な事実に分けて綴られている。筆者の方はこの噂に肯定的な立場をとっているが、その周囲には勿論例外的な人もいると強調されている。結局、その人が本気でプログラムをやっていきたいと思うかどうかがこの噂の分水嶺で、あくまで仕事としてプログラムをやってきた人にとっては35歳程度に見切りをつけなければならないのだろう、ということ。
このうち、興味を覚えたのはこの筆者自身についてと最終的な結論の二つ。私はまだ20代で社会にさえ出ていない青二才だけれども、プログラミングに関しては大分経験年数を重ねてきた。断続的な独学での勉強ペースだったけれども、市販ゲームの改造(アセンブリ的なもので、ゲームメモリの16進数を直接弄ってプログラミング)から始まればもう8年くらいになる。その間にもWeb向けの言語を中心として、CやFortranなども習得したし、今でも研究には必須の技能となっている。その中で思う心地は、この筆者の方とよく似ているというのが本音だ。私も、今となってはプログラミングそのものが無条件に楽しいわけではなく、それで得た結果やその周囲で起こる変化(他人が便利を喜んでいる等)の方に重点が置かれている。自分のためのプログラミングというのは単なる道具として使っているだけで、道具は素早く確実に使えればそれで良く、道具の高度な使いこなし方を不必要なまでに求めない、というスタンスになってきている。勿論、理由はどうあれプログラミングを始めてしまえば楽しくなってくるというのもあり、この部分もコラムの筆者の方と同じだ。そして、そう考える理由としての「他のことが楽しくなった」というのも大いに頷ける。
最終的な結論というのは、この噂がプログラマに限らないというもの。35歳定年説そのものではなく、もっと抽象的な「一般論に対する例外であるための努力」。好奇心や向上心が人一倍強くなければ、一般論の中に埋もれていってしまう。それでも良いというならそれで構わないし、否というならば相応の努力が必要となるだろう。要は自分が何をしたいのかということに集約される。
上の二つから「プログラム以外のことが楽しくなった」「例外となるための努力と覚悟が確固たるものとして無い」ならば、35歳定年説に当てはまるというのが分かる。私と筆者の方は、このうち前者の理由でプログラミングに対するモチベーションが低下している。私の場合は、そもそもプログラミングは「道具」でその結果が必要なのであり、道具の洗練については比較的興味が薄いと言えるので、ある意味当然の帰結でもある。一方で、自分が今中心に据えている対象の世界(具体的に言えば学術的研究の世界)でも「例外」であるためには、相応の努力を求められるということだ。これもある意味当然のことなのだが、往々にして忘れがちなことでもある。
記事の最後に、ものを作り出すことは楽しいと言及されている。これは全くの同意で、だからこそ、創作的な世界を選んだ理由でもある。小難しい言葉を並べてはいるけども、根本的な指針は「それが楽しいか否か」だけなのだ。そして、それが全てなんだと思う。
Comment