オタク趣味とは元来隠すもの恥ずべきものであった、そのようなこととは無縁の現代オタクは幸福である。(アルファルファモザイク)
最近ではlike程度の軽さでオタクの称号が得られるらしい。随分お手軽な称号になったもんだと思う。そもそもオタクの称号なんて得たくもない蔑称だったし、得る得ないという問題以前に身に付いている性質というものだったし、表題通り出来るだけ表に出すことを忌避すべきものだった。そういう意味として、現在でもまだ残っている言葉としては”マニア”の方が近いかもしれない。
オタクという言葉が市民権を得てしまったというか、流行り言葉としてビジネスに取り入れられてしまったのが問題というか。とある対象が好き=オタクじゃねぇんだよ。対象の全てを知りたい・手に入れたいというある種の歪んだ支配・所有欲と、それがマイノリティであることを自覚しながらも止められない性質=オタクだったんだよ。知られたら人に後ろ指を指されてしまうであろうという恐怖と、皆が知らない自分だけの楽しみという小さな優越感を含めた快楽が、社会における禁忌的な遊びとして楽しめたんじゃねーか。「俺、○○が好きなオタクなんだよねー」とか抜かしている自称オタクはすっこんでろ。そういう感じなのですハイ。
古きオタクの性質を(不覚にも)持ってしまった身としては、現代は生きやすいのかもしれないけど、それこそ同好の士という形で仲間を見つけるのは難しいかもしれない。オタク界隈における玉石混淆が生じてしまうわけで。結局、オタクの中にも格付けのようなものが発生して、ディープなオタクかライトなオタクかに分かれるだけかもしれない。そのうちその格を分ける言葉も発生してくるだろうし。
そんなことを改めて感じさせてくれる記事ですた。途中の漫画や富野御大の記事は流石だと思います。
Comment
自分にも関わる事で気になったので、コメント代わりにトラックバック貼っときました。(長くなりそうなんで)
ちなみにタモリとか山田五郎はどう分類すべきでしょうか?
勢いで書いたので何かしらん、攻撃的な文章になっていますが、えらそーなこと抜かしておいて自分自身がライトなオタクに属すると思ってます。
周囲の評価はいざ知らず、業界においてはまだまだ若輩者。しかしライトなオタクとディープなオタクが連続して繋がってしまっているので、その辺りの評価のズレも問題をややこしくしている気がします。
いわゆるオタク趣味が世間的に受け入れられ/ビジネスとして成立してしまったことが裾野の広がりに対応しているんだと思いますが、正直、時代毎の単なる言葉の変遷に過ぎないとも思うわけで。
今ではむしろ、○○が好き=オタクとしたほうが通りが良いのも、そうなんですよね。結局、相手に理解して貰えなければ言葉本来の意味がない。
認識を変えるべきなのは、旧時代から生きているオタクのほうなのかもしれません。
とはいえ、オタクであることを誇るというのは、未だにささやかな抵抗感があるのも事実なんですが……。
# そういう意味では、芸能人のオタク宣言は単に世間的に受け入れられる土壌が出来たというだけであって。
# その”業界”においては、まさしくオタクなのかもしれませぬ。
私はオタクじゃありませんがね、ええ
オタクってのはそもそもですがねマニアとさしあたって変わりないでしょたぶん
まあオタクのがゲームや漫画とかキャラクターがあるものに対して使われる感じだと思いますけどw
とある対象が好き=オタクじゃねぇんだよってとこらへんの話ですがねそれもどっちかっていうと最近のことじゃないですかね、わからないですけどw
まだ私が小学生のときですが漫画読んだりゲームしただけでオタッキーだのオタクだのと母親がいったものですよwそのときの子供が大人になって今になってるならそれも道理のようなものなきもしないでもないですwどちらにせよいい意味ではないでしょうが・・・へっへっへっ