事なかれ主義をやめて、健全な精神状態と人間関係を取り戻す方法(news.nicovideo.jp)
ニコニコニュースで取り上げられていた話題を一つ拾ってみる。事なかれ主義が引き起こす問題と、事なかれ主義を止めるための方法、という感じの記事。取り上げた理由は、私自身の行動について事なかれ主義と批判されたことがあるのでその内省と、記事とは違う点について考察をしてみようというもの。
記事中で挙げられる、事なかれ主義そのもの問題としては、問題そのものを先送りにしてしまう傾向があることが指摘している。問題を先送りにした結果、以前よりも状況が悪化、深刻化してしまうことは多々ある。そのため、事なかれ主義は、周囲の恨みを買いやすく、また自身も抑制的であるために不満が蓄積しやすく、短気な性格が醸成されやすいことを指摘している。それは最終的に、事なかれ主義の人を孤立させやすくする傾向があると括られている。
事なかれ主義の対策としては、問題点を先送りにしないようにすることが求められる。先送りにしないようにするためには、衝突することの良し悪しをしっかりと考える、客観的な立場から問題をとらえる、文章で伝えるなど一番楽なコミュニケーション方法をとることを挙げている。そのうえで衝突を避けられない場合、ストレスを遠ざけられる状況を作るのが肝要と述べている。
記事はざっくりと上記のようにまとめられるだろうか。事なかれ主義は、結局損をするので止めよう、という趣旨であると私は受け止めている。この主張に違和感があるのは、たぶん私自身が事なかれ主義と批判されたことがあるためだろう。そこを具体的に掘り下げて考えてみる。
違和感の原点は、記事で「何が何でも波風を立てないようにする」ことを事なかれ主義としているが、事なかれ主義ではないのはどういうことかが明らかになっていない点である。だがこれは、明らかにできないと考えるほうが正しいと思う。どう振る舞うことが、事なかれ主義ではないと判断されるか。すぐに思いつくのは、ある問題点があがった場合に、上記のように、問題を先送りにしないことが肝要だということだろう。しかしそれは、ある意味では非常にコストを要する振る舞いだと個人的に思っている。即ち、どのような問題であれば先送りにしないほうがよいとするか、まずはその判断が先にあるのではないだろうか。
ある問題が、先送りにすべきではない問題か、先送りにしてもよい問題かを判断するのは難しい。問題による、と一言でまとめるのは容易いが、実際の生活に当てはめてみようとすると、その判断が正しいのかどうかが分からなくなる。どんな問題も先送りにしようとする態度は確かに事なかれ主義だと分かるが、全てを先送りにせず対処するというのは体力的にも精神的にも非常に負荷がかかる態度であり、非現実的だと思う。ある意味高コストと思うのは、この点を考慮しているためである。
もう少し現実的な態度について考察する。私自身は、自分の態度をあまり事なかれ主義だと思ったことはないが、外からそのように批判されたことがある。それは、ある問題において私は先送りにしてよい問題だと思っていたが、一方の相手は先送りにすべきではない問題と判断していた、と考えればつじつまが合う。それを正しく認識すれば、あとは話が早い。その問題について、先送りにせずコミュニケーションをとればよい。次善の策といえばその通りだが、事が深刻にならないようにするためには認識を正しく持ち、行動することであると思う。
さらに、そのような先送りにしてもよい問題と、先送りにすべきでない問題を齟齬が起きないように認識するにはどうすればよいか。これはその相手との関係性もあるし、認識がずれないように都度コミュニケーションをとりつつ修正していくしかないと思う。むしろ、そのコミュニケーションを怠ることのほうが事なかれ主義そのものよりも問題かもしれない。私が事なかれ主義だと批判されていた点は、そういったコミュニケーションを怠っていた側面があるからかもしれないので、その点は反省すべきところだろう。それを煩わしく思うのであれば、結局、全ての問題を先送りにするかしないかの極端な方向しか残されていない。事なかれ主義は、コミュニケーション能力の不足と、近視眼的な視点で物事をとらえてしまうことの複合で生じる性質の一つであると考えることができる。
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